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よる日記

散歩とか音楽とか

あの人の夢を見た

昔バイト先にいたあの人の夢を。

あの人のおじいさんとあの人が出てきて、おじいさんが居酒屋か定食屋かその両方みたいなお店をやっていたのでご飯を食べさせてもらうなどした。他にも色々したはずなのだがもう忘れてしまった。
僕もあの人もまだ思春期くらいの子供で、お互いの世界は今よりもっとシンプルだった。そこにはまだ
意地悪な白鳥も口うるさいカレンダーもいなかった。世界は今見ている世界がすべてであらゆるものは完璧な円の中で回っていた。
昔のあの人にあったことはない。ただ 昔の記憶を共有できたような感覚が残った。

目が覚めたときには外を雨が降っていて空は暗く、朝なのか昼なのかも分からなかった。

夢を見て起きたとき、雨が降っていると夢の余韻に長く深く、良く浸れる気がする。
今日は一日、夢のおかげでほんのりとした幸福感が僕をずっと包んでいた。

あの人の夢を見た

昔バイト先にいたあの人の夢を。

あの人のおじいさんとあの人が出てきて、おじいさんが居酒屋か定食屋かその両方みたいなお店をやっていたのでご飯を食べさせてもらうなどした。他にも色々したはずなのだがもう忘れてしまった。

目が覚めたときには外を雨が降っていて空は暗く、朝なのか昼なのかも分からなかった。

夢を見て起きたとき、雨が降っていると夢の余韻に長く深く、良く浸れる気がする。
今日は一日、夢のおかげでほんのりとした幸福感が僕をずっと包んでいた。

あの人の夢を見た

昔バイト先にいたあの人の夢を。

あの人のおじいさんとあの人が出てきて、おじいさんが居酒屋か定食屋かその両方みたいなお店をやっていたのでご飯を食べさせてもらうなどした。他にも色々したはずなのだがもう忘れてしまった。

目が覚めたときには外を雨が降っていて空は暗く、朝なのか昼なのかも分からなかった。

夢を見て起きたとき、雨が降っていると夢の余韻に長く深く、良く浸れる気がする。
今日は一日、夢のおかげでほんのりとした幸福感が僕をずっと包んでいた。

奥の細道を歩いている

昨日は元自衛隊のおじいさんに道ばたでいなり寿司と菓子パンとチョコレートをもらった。ありがたくいただいた。


毎日は宿に泊まらないので困るのが電源問題だが田舎のコンビニは今はたいていイートインスペースがあってコンセントが使える。田舎のコンビニ万歳である。

今はファミマでコーヒーとパン食べながらこの記事を書いている。外は雲一つない快晴、ひっきりなしに車が走る国道。何が楽しくて徒歩なんてやってるんだという気分になる。

これだから国道はいけねえ。歩くときはやはり歩きにあったスケールの道を選ばないと、といってもなかなか幹線道路以外の選択肢を選びがたい現状もあるのだが。
今やりたいのは川上りだ。小さな舟で流れの緩やかな川をゆっくり上りたい。

最近というか今日

朝六時台に目が覚めてしばらくベッドの上でスマホをイジるなどした。今日やろうと思っていたことは結局何もしなかった。

スラックスの裾上げ

ローラー買いに行く

銭湯とファミレス

 

 

日記をつけることをしばらくやめた結果どうなっただろう

あまり本を読まなくなったか。たぶん無反省になるからだろう。禁欲的でない、なまぬるい日々

 

そういえば割りと人生変わるかもっていう重大なイベント(それ自体は悪いヤツ)が起きようとしたけど起きなかった。

一度死ぬこと、象徴的な死に対する憧憬が自分の中に存在することは確認したが、其の快感ばかりでは当然なく、生きる意味の消失・退屈・無価値感がいまより遥かに増すんだなってことが確かになった。

それとて先延ばしにしてるから直視しなくていいだけでいずれは目の前にごわんと立ちはだかる。そのときに俺はあの日そのまま失敗していれば、と思うのだろうか。

 

 

 

先日、バーのマスターに本を借りた。カウンターに置いてあったやつだ。その人の本棚はその人自身より多くを語る。

特殊な場所、偶然ではなかなかたどり着かないような場所で出会った人たちが言葉を交わさずとも通じ合える、またはそのような気になれるのは似たようなところに理由があるかもしれない。

 

 

 

暇だと俺は金を使う。大して食いたくないものを食い、大して行きたくもない場所で金を払って過ごす。銭湯だってあの温度の落差による快感があるから例外みたいな扱いになっているけど、そもそも行く理由は暇だからだ。暇に目を向けるのが怖いからだ。銭湯に限らず俺の行動のほとんどは暇や己の無価値感、退屈から逃れたいだけで、そのもの自体には大して興味なんてないんだ。

それいったら子供を育てることとか仕事すること、誰かと付き合うこととか全部おのれの空洞に目を向けないための道具でしかないんじゃないかなんて。

 

それってようは人生死ぬ目での暇つぶしってことでしょ?って言われるとちょっと違う気がする。

第三のビールのまずさの正体

最近散在が激しいので食事はなるべく自炊でやることにしている。というかしたい。

ものの、今日のは味噌汁が塩辛すぎて食後のどが渇きに渇いたので炭酸を買いにスーパーまで。お目当ての本搾りオレンジがなくなってたので麦とホップを。


家まで我慢できずに店出た瞬間プルタブを上げる。
外の気温もぬるいせいか美味い。ただ家についてちょっとだけやんやしてもう一度残りを飲むとそりゃもう不味い。さっきと明らかに味が違う。

前からうすうす気づいてたけど第三のビールは炭酸の抜ける時間が本物より絶対早い。第三のビールは炭酸があるうちは本物に近い風味を出してるものの、抜けるといっきに偽物感がアピールをはじめる。なんか安っぽいし体にもよくなさそうな味。はっきり言って不味い。

どうしてこうも炭酸が抜けやすいのか。それすりゃ何とかなれば割とずっと第三のビールでも問題ないとまで思えるかもしれない。使ってる原料の違い的にどうしようもないんだろうか。

結局

自分にしか興味がない。
まわりの世界の物事で興味あるように振る舞ってるものも結局それが自分に与える与えられる影響に興味があるだけだ。
自分から近いものだと容易に自己肯定とかできたりしがちだから興味湧くし自分から遠いものについても、その遠さが普段の自分の枠から解放してくれるから興味が湧く。結局いつもそうなんだ

そう考えると好き嫌いの話なんて恥ずかしくってできたもんじゃねえ