頭の中がうるさい

散歩とか音楽とか

自分が自分であるということにひどくうんざりしてしまう

自分の選んだ行動、付き合った人たち、選んだコミュニティ、そこでの肩書、そういうもので自分が出来上がってしまう。無為に生きた今日が明日を作りその積み重ねで長い年月が出来上がってしまう。ただただ生きているだけで何かを選び何かを捨てて、そういうものが自分に絡みついたり足元に積もっていったりする。

全部なかったことにしたくなる時がたまにくる。もうこの自分はやめにして違うやつでやってみようなんて。もちろんそんなことできるわけない。自分の犯罪歴は消えないし家族は家族のままだし、人と関わってしまった事実は消えない。

 

でも自分にはどこか、こんな自分の人生が取り替えのきくようなものだと思っているフシがある。明日になったら違う街の違う誰かになって生きてられるんじゃないかっていうような。

 

自分より結構年上の大人と話しているとそんな気持ちがぶっ否定されて冷水を浴びせられたような気になる。こんな自分の人生がこの先何十年もどうしようもなく続いていくんだと、この自分でずっとやっていくしかないんだと、こうやって現実を直視したくない自分の延長線上に未来の自分が確かにいるんだと。そんなことが改めて認識されてひどくうんざりしてしまう。

 

もしかすると自分の人生に対するお客様感は死ぬまで消えないかもしれない。自分の人生はいつ始まるんだろう、なんて思ってるうちにジジイになって死んでしまうんだ。

夢を見て頭の中が変わった

今日は夢を見た

久しぶりに夢の中で泣いた
日頃申し訳ないのと自分が情けないのと顔を見た瞬間の安心感で号泣してしまった。もう号泣なんて何年もしていない。夢の中でしか。

以前の号泣の時と同じように、その夢を見る前と後で明らかに脳の組成が変わった気がした。よりシンプルに素直になった気がする。音楽も無機質で曖昧なものよりシンプルなものが響きやすい。

自分が求めているものがなんなのかがはっきりわかったような気がした。から会いに行った。珍しく自分から。なんだか下り坂が始まっているような気がしないでもなかったけど顔を見れただけで、肌に触れているだけで嬉しかった楽しかった。このままだめになったとしても、それをそのまま受け止められるような気がする。別の実をいくつも摘み取って自分を麻痺させるようなことなく。


今日は起きる前に見た夢の力が一日を通して心に影響を与えていた気がする。ずっと雨だったし。適当に捨てられて散らばっていたものがきれいになくなったような、あるいは蓋がとれたような気がした。

でもこれは長く続くものではない。過去に何度かこれに近しいスター状態があったけど長続きはしなかった。その間に何らかの変化を起こした方が良いのかもしれない。無感覚な藁で隙間を埋めずに向き合うこと。もしくは良質な物語に身を浸すこと。

何がしたいのかいよいよわからない。

やってよかったと思うことをほとんどしていない気がする。自分や他人を軽んじた行動、自分を嫌いになる行動ばかりとっている気がする。


やるべきことはあるがやりたいことはない。やりたいことはやるべきことをやっているうちに見つかるものかもしれない。これまでの経験的にはそういう場合が多かった気がする。


とはいえ実際に行動に移すことはない。穴の空いたバケツに水を流し込む日々

全然食いたくないのに牛丼屋に入って

豚丼(並)を注文した。食べ終わる頃、さっきよりさらに全然食べたくないのに牛黒カレーを頼んだ。

意味わかんないけどこの現象なんなんだ

最近は極めて低俗な日々を送っている。しこってやって酒飲んで、YouTube死んだ目で見て、くそみたいなまとめサイト読んで。

なにも成長したきがしないし成長ってなんだよ何か目標があってやった行動でもない。今の目標というかもっとこうなりたい、こうありたいっていう部分を満足させるための行動を代わりに取るようになれば夜寝る前の罪悪感もなくなるのだろう。

たとえば純文学読むとか芸術映画みるとかしてる場合はそれも結局端から見れば暇潰しでしかないのに関わらず罪悪感を感じにくいんだけどそれは俺がそういうものに詳しい人に憧れのようなものを抱いてるからなんだろう。しょうもない。