いじめ加害者をバッシングする世間の気持ち悪さ
TBS「好きか嫌いかいう時間」のいじめ加害者実名報道の討論を見て考えた。
番組ではいじめ加害者は実名報道をすべきという意見が多かった。賛成派の意見としては
・抑止力になる
・加害者は守られるべきでない
・目には目を
など抑止力を抜きにすれば感情論が多く、抑止力を理由にあげている人も実際は感情が先行していて一応の理由として抑止力を挙げているように見えた。賛成派の人たちには何か抜き差しならぬ雰囲気があって普段は優しいブラマヨ吉田も加害者に対する怒りを隠しきれていないようだった。難しいところだが吉田みたいな優しい人はその優しさの裏返しとして異質な存在や不道徳に対して大きな攻撃性を発揮する場合がある。
反対派の意見は
・マスコミを中心としたリンチになってしまう(尾木ママ)
・更生を阻害する
・自分の子供が加害者だったらやりきれない
・SNSでどうせ裁かれる
などであった。りゅうちぇるが反対派として奮闘していたが賛成派の皆さんには刺さってないようだった。りゅうちぇるは加害書の更生の阻害を理由にあげていたが何となくそれだけが理由ではない気がした。何度かこの番組を見ていて感じたことだがこの人は物事をフラットに見るきらいがある。公平な人なのだ。加害者には何をしてもいいと顔を真赤にして怒る人たちとは脳みその作りがおそらく違う。実際りゅうちぇるに突っかかっていく賛成派の人たちはりゅうちぇる自身が加害者であるかのように怒りを露わにしており、昔見た1頭のキリンに集団で襲い掛かって最終的に殺してしまうサバンナのライオンを思い出した。尾木ママの意見こそ反対派の意見の中核となるものでもっと取り上げるべきだという気がしたがそれでもやはり賛成派にはなかなか刺さらなかっただろう。脳みその作りが賛成派と反対派とでは違うから。
さっき吉田を優しい人として称したが尾木ママは吉田とタイプを異にする優しい人である。それも特殊な。尾木ママタイプの優しい人は物事をフラットに見られる代わりに吉田みたいな熱い優しさを欠いた人が多い。パット見優しい人の多くはは他人に興味が無いだけである。尾木ママは熱い優しさとフラットさを両方もった稀有な人だ。
人を自殺に追い込むまで寄ってたかって虐め抜く奴など畜生に違いなく自分の関わる人たちがその被害にあったら殺してやりたいくらいはらわたが煮えくりかえる。それはわかるめちゃめちゃわかる
ただ加害者の実名報道をやってしまうと今度は加害者が社会からいじめられることになる。その程度は恐らく場合によってはとんでもなく酷いレベルで今度は加害者が自殺してしまうかもしれない。そんなの加害者がやったことを考えれば当然の報いであり足りないくらいだ、という意見が多い。加害者が何らかの報いを受けるべきという考えは分かる。ただその報いを執行する人間はお前らなのか?
加害者は死ぬ程苦しみを味わうべき。そのようなことを言う人は自分にもいじめの加害者としての素質があることを自覚しているのだろうか。程度の大小や、正義の有る無しを脇におけばお前らがやっていることは虐めとなんの変わりもない。
加害者が罰せられるべきかどうかはいじめの程度によるものなのだろうか。いじめの程度がそれほどでもなかったり被害者が大きなアクションを起こさなかったいじめは起こってしょうがないものなのだろうか。いじめに近いイジリなんかそれこそ学校のクラスの数、職場の数だけある。今日もあらゆるところで人は小さないじめによって傷つき同調圧力によって何も抵抗できないでいる。イジリを受けている人間が傷ついているかどうかは周りには分からない。もしかしたら全然傷ついていないかもしれないし毎日死にたくなるほど傷ついているかもしれない。重松清の小説に出てくるサービス精神旺盛な野口くんが自殺したことを考えると人の心が傷つくかもしれないっていうハードルは低くして低くして低くしまくってやっとちょうどいい、くらいのものかもしれない。
正義を振りかざす人間、道徳的正しさをバックにつけた人間は罪を犯したものを叩き叩き叩きまくる。その構造や集団ヒステリーそのものでヒステリーがヒステリーを呼び状況はどんどん酷くなる。
こういうことをする人間は自分になんの影響も及ばさない物事に対して大いに怒り、自分の正義を語り、罪を罰したがる。そこにある自分の虐めっ子性には気づいてないようだ。芸能人の不倫報道を批判する流れに乗っかり何の恨みもない人をここぞとばかりに叩くのである。スマイリーキクチ中傷事件などはまさしくこのようなゴミクズ人間により起こったのである。朴槿恵を自分の親を殺されたかのように憎み騒ぎ立てる人たちも同様である。こういうゴミクズは自分がなぜ全くの遠い他人を叩くのかを道徳心、正義感からくるものだと勘違いしている。鬱屈や不満、野次馬根性など自分自身の中にある問題には目がいかないのであろう。
こういう人間は本当に気持ち悪い。いじめは程度の大小に限らず気持ち悪く、正義の有無によらず気持ち悪いのである。3億円事件の犯人が気持ち悪くなくて女子高生コンクリート事件の犯人たちが反吐が出るほど気持ち悪いのにはここに理由がある。
加害者の実名報道をすることでいじめは減るという意見がある。確かにそういう影響は期待できる。ただ本質的な原因はあくまで寄ってたかって人を叩くような精神構造を持った人間が世間に多いことである。罪を犯したものに対する厳罰化は表面的な対策に過ぎず本当にいじめをなくしたいなら集団の同調圧力や過度な正当化一般化をするような精神構造を何とかすべきだ。
虐めっ子の実名報道をすべきという連中は、そう言うのは勝手だが自分の中にある気持ち悪さ、攻撃性にも目を向けたほうがいい。平気で人をイジる人はいじめがイジりの延長線上にあることに気づいたほうがいい。人を叩くときの自分は叩いている人間と同じくらい気持ち悪いのだと自覚した方がいい。
それにしても文章が下手くそだな俺
恥ずかしい
銀杏ボーイズを聞く
たまに聞くことで自分の心がまだ死んでいないことを確認する。
でも基本的にはもう俺には銀杏を聞く資格がない。
俺の青春
のイメージは何になるんだろうか
こういうのは後から振り返るまだわからないものが多い。ただ、少なくとも冬のあの子と部屋でのあいつは確実にそうなるんだろう。
酔って記憶なくすとかガキかよ
って言う言葉、まあその通りだなと思う。基本その通りだと思うんだけど自分の限界を大人になっても分からないのか、と言われると何となくモヤモヤする。
もちろん周りの人に迷惑をかけること自体は心苦しいし醜態を見られてしまうことは恥ずかしい。でも心の奥ではそうなることを初めからある意味求めている気がする。正気を失いたい、くそったれた現実、日常からフライハイしてしまいたい気持ちを常日頃から持ってる。その結果記憶をなくしたり醜態を晒したりする。周りからしてみたら迷惑かけられてたまったもんじゃないだろうがごめんなさい本当ごめんなさいもう顔を合わせることもできないごめんなさい。あかん混じった。
周りに迷惑がかかるからやめろっていうのはすごくわかるんだけど周りに迷惑がかからない状況でも俺のような人間は飲んでしまうということを多分普通の人は知らないというか理解できないだろう。1人で誰も知らない町で飲み歩いたり、ホテルの部屋で飲んだりする時さえ記憶を失ってしまうのだ。まず酒を1人で飲むこと自体が理解できないという人だっている。
飲みすぎるやつはまわりにひとがいようがいまいが飲みすぎるし、身体に悪いとわかっていながら記憶を飛ばす。
財布なんて何回無くしたかわからない。友達もなくした。飲んだ後はだいたい見知らぬ傷ができていてその後のシャワーがしみる。カバンごと大切なものをいくつもなくした。大怪我だってした。
こんだけ痛い目に遭ってもやめないのが俺みたいな人間である。こう書くと全く悪びれてないようだがやらかした直後は毎回周りへの懺悔の気持ちと恥の気持ちでいっぱいである。もう二度と酒なんか飲むかと思う。
それでも少し時間が経つと少しなら、一杯だけなら、知り合い無しで1人なら、と行動管理のハードルを下げて結局記憶を飛ばしてしまう。頭がおかしいのだ。酒を飲むと頭おかしくなるよね、って言われるけどそもそもこんなに飲む時点で頭がおかしいのだ。
思ったことをすぐ口にできたり、いろんな場における自分の立ち位置とかキャラとかにとらわれすぎて自然に振る舞えない、そもそも自然が何なのかさえ分からないなんてことにならない人は酒を飲みすぎることがあんまりないんじゃないだろうか。周りにいる飲みすぎるやつはだいたいなんか、、変なことになってしまってるように見えるから。
消えてしまいたい
生きるのがめんどくさい
ってよくいうけど、よく言う奴いるけど本当にそうなのか?
めんどくさいってのが通常の状態で自分の未来に希望を感じてワクワクしてるような状態が異常なのか?
たまたまうまくいかないことを個別にいくつか経験しただけで、
それを全てにおいてうまくいかないって敷衍して勝手に絶望してるだけなんじゃないのか?
学習性無力感
先延ばし癖
ちきしょう、殺りやがったな
それはそうと久々に見るとお気に入りのキャラが変わった。ペッパーはなんとも仕事のできる男で味方にいると非常に頼もしいが粗野な部分もある。空挺団の認識票のシーンとか見るとなんだかなあというかんじ。あの場にはウェイド以外に繊細な感性を持っている人がいなかった。隊長も率先してはないものの怒られてる側だったし。悪い意味で全員男だなあといった印象を受ける。ウェイドの出てるシーンだけなんだか見たがどこを取っても一貫して優しく自己犠牲と他者への愛に溢れている。ちょっとしたコマだがバリケード爆破させるときも傷を負った兵士を守るように覆いかぶさってやってたし。母との思い出のシーンなどは言わずもがな。普段前へ出てくることはないが誰かが傷つく事には敏感でそういうときにはすぐに行動に出る。自分は端に置いて。理想的な人だ。あんな風になりたい、まあ無理なんだが。
それはそうとうんこ漏らしたかもしれない