頭の中がうるさい

散歩とか音楽とか

そんなもん

今日は大学昼からいって授業でて新宿郵便局で書類だした。大事な書類だったけど自分のこれから考えるに出していいのかどうなのかよくわからずでもとにかく橋は越えてしまった。次のはしまで歩くしかない。

その後ふらついてると薬局の前で日焼け止めかがんでみてる女の子が居て角度と服の開き具合と貧乳度合いからして乳首が見えそうだった。丁度いい位置まで移動したらばっちしみえた。
ほう、と思ってバイトに向かった。電車のなかで顔思い出そうとしたけどそもそも顔見てなかった。そんな日。

女のひとがよく否定的な意味で男なんてそんなもんよって言うけど俺なんてほんとそんなもんだと思う。

やるべきことがたくさんあるのに

やめときゃいいのにあの子との思い出をたどった。LINEのトークは消えてしまったから前もって保存していたトーク履歴のデータを開いたのだ。LINEのトーク履歴はすごい。日記をつけていないことを危惧していたけど日記の代わりになってくれるのだ。LINEは。

もちろんLINEに思い出がすべて詰まっているわけではない。歩きながら話したこと、じゃれながら言ったしょうもない冗談の数々は言ったそばから消えてしまうだろう大抵は。それでもやはりなんにも記録を残していないのとは全く違う。その節々から枝分かれしていくつもの思い出に触れることができる。

出会った頃のあの子の尻尾フリフリを隠そうともしない純粋な無邪気な好意は今考えても甘く、あの頃の日々は幸せに満ちていた。もちろんあの頃はあの頃でいろいろ嫌なこととかあったんだろうし幸せ一色なんてことはないけど、それでもどう考えても幸せだったのだ本当に。今考えれば。


僕はいつもその最中にあるときにそのものの価値に気づけない。
これからもいろんなモノを人を失うんだろう。そして失ってから自分の中の空洞に気づいて味のしない飯を食う。色味のない景色をみる。

エンジェルベイビー

ポップで甘いシューゲイザー

ナイトライダーになんか近い雰囲気。ノスタルジックな空気が漂っている。峯田和伸はやっぱり峯田和伸なんだという気がした



小説家とかでもなんでもそうなんだろうけどやっぱ一人の人間が表現作品においてテーマにできる事なんてそんなに多くはないんだろう。自分の魂と繋がってないことを表現することはできない。

峯田さんがずっと言い続けてること、言いたいことは人生のある時期にしか響かないものなのかもしれない。そうだとしたら、そういう人間にとって残りの人生はいったいどれ程の価値を持ちうるんだろうか。うまくシフトチェンジできないものにとって、常に過去に引っ張られ続ける者にとって未来は美しい場所として映らない。希望の場所と思えない。


過去はいつの時も「ここではないどこか」として僕に輝きを見せ続ける。

楽園なんてない

買ったばかりの宮台真司の本を深夜のデニーズで読んでいると連絡が来た。


女友達が仕事を辞めようか迷っている。彼女は今昼の仕事と夜の仕事を両方やっていて時間的にも精神的にも余裕がなくなっている。いやその言い方は正しくない。そんな一般的な問題を抱えているわけじゃない。彼女はそもそも昼の仕事を問題なくやれるような精神構造をしていなくて、元々夜の仕事だけをやっていた。それが大学卒業とともに普通に就職もしてしまったわけだからそれだけでも辛いはずなのに、夜の仕事もやめてないから時間、体力もピリピリになってしまっているのだ。
そんならせめて夜の仕事やめてもっと睡眠時間とかゆっくりする時間確保すればいいじゃないか、と思ったけど昼の仕事だけでは自己肯定感を得られないと彼女は言う。

僕は彼女が夜の仕事をする理由は昼の仕事をまともにできる気がしないっていういわば消去法的な理由によるものだと思っていた。もちろんそういう意味合いもあるんだろうけど、その選択肢自体にも魅力を感じていたとは知らなかった。



彼女は色んな選択肢をいま考えている。ただどれを選んだとて決してのんびり気ままに歩けるような道ではないはずだ。楽園なんてどこにもない。あるのは今よりマシな選択肢くらいで、それも勝ち取ったあとに同じ輝きを保ってくれるとは限らない。

恐ろしく性欲がない

クスリのせいなのか何なのかわからんけどセックス欲、オナニー欲がない。なんていうかそういう状況になったらわりとまあ何とかなるけど、そもそものモチベーション自体がない。酒飲んだらちょっと変わるけど基本的に人に会いたいっていう気持ちもない。あの子はいよいよ俺に興味をなくしたみたいで最近ではほとんどLINEも来なくなったけど別に寂しくない。なんでこないんだよ!みたいな怒りもないし心の海はずっと凪だ。無風状態。冬にあの子との関係がおかしくなり始めたときにはあんなに苦しくて毎日毎日押しつぶされそうで胃のあたりがずっとグーンと重かったのに。

 

今はなんでも失える。何失ってもたぶんそんなに痛くない。ふーんで済ませられる。毎年夏はだいたい寂しさが緩和するけど今年は性欲もなくなってしまったからマジで何をして過ごすんだろう。去年の夏なんか女女女and女ってな状態だったからな。もっと有意義に時間を使えそうだ。といっても問題はどの選択肢にもモチベーションを感じられないことだ。別に何もやりたくないし興味もない。冷静に考えたらやるべきことも色々あるはずだけどそもそもやるべきってとこまで感情が到達しない。性欲減退だけじゃなくて鬱にもなりかけてんのか?鬱が原因で今こんな状態なら鬱もそんな悪いもんでもないな。ただ繰り返すけど苦しみがないのと同様やっぱ楽しみも特にない。音楽聞いたり本読んだりしても心の表面のあたりをスーッと流れていくばかりで全然内側まで入ってきてくれない。國分功一郎によれば退屈から抜け出すにはモノそのもの芸術そのものを楽しむことが重要らしいけど今は全くそんな状態にない。というと退屈になるんだろうか。間違いない今の自分の状態を一言で言うなら退屈そのものだ。誰かに迎えに来て欲しくなることもない。ただ退屈そのものを享受している。

 

 

 

ノルウェイの森にネタバレとかないから

ええー直子死んじゃうのーまじかー知りたくなかったーじゃねえから。別にその情報知ったとて村上春樹のあの小説の1パーセントも知ったことにならないから。安心していいから。純文学を大衆小説の読み方で読むからネタバレが気になったり、あらすじが気になったりするんだ。そういう人たちは小説とか漫画とかの感想聞くときに「面白いの?」っていう言葉しかもたない。世の中には面白い作品と面白くない作品しかなくて作品と自分の感性の関係とかには考えが向くことがない。面白くなかった作品は合わないんじゃなくて作品のレベルが低いとかストーリーの稚拙さがすべてだと思ってしまうんだ。

 

そういう人達の言う「面白い」は多義語としての面白いではなく「いわゆる」面白いなんだ。

実習に行くまえと何かが違う

一週間の実習を終え東京に戻ってきた。いつもと違う環境でいつもと違う人たちといつもと違う生活リズムでいつもと違う食事をしたことは俺の「組成」のようなものを変えてしまった。

いいとか悪いとか楽しいとか楽しくないとかおいといてとりあえず何らかの変化が起きている。東京へ戻って1日も経っていない今は何だかある世界とある世界の中間地帯に居るような感じで、混乱している、というか整理がつかなくて何をすればいいとか何をしたいのかがわからない。


今までに行った旅のどれよりも大きな変化が自分の身に起きているような気がする。繰り返すけど人生観が変わったとかこれから頑張れそうだとかそういうことじゃない。とりあえずいつもの自分と違う自分になっている。俺は今誰なんだ。どこにいるんだ。
この状態はいつまで続くんだ。