頭の中がうるさい

散歩とか音楽とか

悲しみは消えてない

昨日夢を見た。
下北を歩くあの娘とすれ違った。
突然の再会に驚きつつも、スッキリとした顔でMAXの65パーセントくらいの愛嬌であの子は僕の名前を呼んだ。
隣には、爽やかに日焼けして人の良さそうな男の子がいた。
なんとか明るいトーンの声で「久しぶり」と返すことができた。
それですぐ別れた。

その後のことははっきりと覚えてないけど、とにかく涙が止まらなくなった。周りの人がいようがどうすることもできなかった。ダメになって以来一度も泣いていなかったのに。

やはり、本当は悲しかったのだ。あの子のことが好きだったのだ。


でも純度100パーセントの悲しみは、もう現実の世界では感じることができない。

これからも世界は色を失い続ける。

その場所で仕事を決める

やりたい仕事が見つからない、し本気で見つけようともしてない。なにか見つけたとてすぐに踏み込めない理由を一つ二つ思い付くだろう。このまま結局なにも見つけられぬまま(そもそも「見つけよう」としてること自体が誤りな気もする)決定の時期を迎えるのだろう。

それならそうとピタリと来る適職なんて探さずにとりあえず気に入った場所、そこに住んだとしてその地における自分の生活を愛せるような場所にある(もしくは場所を選ばずできる)仕事をやるのがいいのではないかという気がする。思うに俺は幸福度において場所、空間の影響を強く受ける方だ。人間関係なんかももちろん大事だけど、仮に一人ぼっちでもその場所なら気分よく暮らせるという場所なら見つけられるかもしれない。適職探しと適地探し、どちらが難しいかはわからない。両方同時に得られるのがもちろん最高だが。

適職も適地も諦めた人生のスタイルは旅にほかならない。それもそれとしてアリである。もうちょっと人生可能性が閉じてきたらその方向で本格的に考えてみようか。

俺はなにも成長していない

夕方から技能が二つ。
スローカーブをもう一球の一篇を読んだ。諦念とか現実の酸っぱさとかを全体的に美しく纏めていた。良かった。
異界が覗く都市を読む。アキラ、ナウシカ、2001年についての文章。やはりこのてのは興味をひく。
昼食時、現場監督をやっている30代の人と話した。食後も一緒に喫煙室へ行き、LINEを好感した。夕食はこの人のグループに誘われ一緒に食べたがみなさんまあ喋らない。これなら一人で食べた方がましだ。明日から一緒に食事するかと思うと思いやられる。
でも、よる少しいい気分だったので後輩のhちゃんに電話をしようと思う。素面は流石に怖かったので酒をいれにセブンへ急ぐ。ビール一杯じゃ不安で、部屋にある赤ワインを二杯くらい飲む。温くて渋くてそれはそれはまずいもんだったけど強くなるためだ、仕方ない。そんなにリラックスできたわけでもないが準備完了ということにした。外へ出てダイヤルを押す。最初繋がらず五分くらい経って川の前の階段でタバコ吸ってると向こうからかかってきた。
川の話、実習の話、あのこの体勢の話、カズオイシグロの話などをする。
盛り上がらないではないけれど、やはりどこかうまく交わってない感がある。何が原因なのだろう。俺に関してはやはりキャラとか繕う感じがその根底にあるんだろうけどあのこはどうなんだろう。去年の夏に学科の友人の紹介で夏祭りに一緒に行った娘ともこんな感じだった。あの娘に対しては知り合いの紹介ということで変な手を出すわけにもいかずポジショニングが最後まで定まらなかったわけだけど今回も結局そうなのかもしれない。人との関係を何かしらの方向で離陸したい場合はとりあえずなにか具体的な物語に身を置く必要がある。それが美しいものと言えずとも。あの娘にもやはりそんな適当な手を打ちたくない。けどそうだとして裸でぶつかってどうにかなるような未来も想像できない。そもそも自分の裸なんてもはやわからない。どうしていいかわからない。

暇なときに何をするか

俺は暇になると飯を食う。食いたくなくても食う。自炊することも外に行くこともあるけど、自然に出てきた食欲がそうさせるのではない。食べたいから行動するのではなく行動したいから何か食べたいものを見つける、といった感じ。生活に目的が欲しいだけでおそらく内容はどうでもいいのだ。


退屈を直視するのはつらい。

バイトの休憩中である

定食屋でニラレバ定食食べたあと喫茶店に来た。

休憩の前一緒に入っていた女の人とちょいちょい話した。最後の方でマンションの明かりや人の家から漂う風呂の匂いがたまらなく胸に来る話をした。人の生活が胸に染み入る季節になったのだ。
ちゃんと話したことなかったけどやっぱりそういう繊細な感性を持っている人だった。他のおばさんたちと違って噂話もしないし。

バイトをやめるまえに話ができて嬉しく思った。

不安定で怠惰な心におさらばする

なんていうかまあ俺カスなんですよね、が最近の脳内の口癖。院試まで三週間を切った。そろそろ心を殺さないとやばい。でも今日の夜には素敵な女の子と大学で会う予定だしその前にはカウンセラーの先生にも会う。なんだか求める流れに逆行している。

 

目的本位に、雑念に縛られず死んだ心で生きなくては。それとちょっとのやる気と。まあそれは自ずとついてくるだろうから。

優しかった友達が変わってしまった

自分でそう感じるわけではない、彼女がそう言ったのだ。いろんなモノをフラットに見て、意地悪な人や理不尽な扱いにもその人なりの理由なりがあるんだろう、等と想像して決して怒らなかった友達が就職を境に怒りを怒りとして出すようになってしまった。
電車のなかで泣く赤ん坊とか道でぶつかってくる人とか明らかに悪意のない行動にも我慢ができなくなったんだと。これは悲しいことだ。

僕はすぐ舌打ちする人とか怒鳴ったりする人はもともとそういう人で、相対的にモノをみたり相手の気持ちを考えることが元々できない人だと思っている節があった。でも違ったのだ、彼女が持っているようなささやかな美徳も余裕のあるなしで平気で存在が左右されてしまうのだ。余裕と言う言葉ひとつにまとめていい話じゃないかもしれない。

彼女はこんな世の中おかしい、ともらしていた。だから世の中の人はみんな性格が悪いのだと。

ただ優しさと強さはトレードオフなのだろうか。自分の我を通したり相手の気持ちを推し量ったりしないことを強さだとするなら確かにそうかもしれない。ただそういう種類とは違う種類の強さもあるはずだ。僕はそれを探したい。

それはそうと辛そうだ彼女