よる日記

散歩とか音楽とか

誰でもなんでもいいから俺の人生勝手に決めてくんねえかな

いまいろんな人生における大事な選択肢が自分の中にあってそのうちのいくつかは近々答えを出さないといけなくてそのうちのどれか一つにすら真摯に向き合わず徒につれづれ日々を過ごしている。

 

 

昨日「そこのみにて光輝く」の映画を観た。映画自体の内容は鬱屈してて基本的に救いがないんような感じでそれもまあ良かったんだけど地方の生活感とか主人公の自分の人生に対するお客様感になんとも惹かれてしまった。

 

映画の中でもあったけど、知らない町で肉体労働して稼いですぐに他の街に移ってそこでまた働くっていう生活に対する憧れがある。嫌な仕事でも嫌な上司でもすぐにオサラバする前提で対していればきっと我慢できる。お客様感があれば所詮はいろんな悩みも他人事だからだ。責任のなさ、プライスレス。

 

自分の人生に絶望するのは大抵他に選択肢が何もないって感じるとき。最初からいくらでも選択肢がある中から仕方なく選んだっていうスタンスでいれば人生に悲観的になることはないんじゃないか。

 

でもそう感じるのはたぶん俺が安定した幸せにもともとあまり興味が無いからで、幸せ=家族に囲まれ穏やかに過ごすって感覚の人は共感できないんだろう。

 

そもそも俺とて本当に旅とか放浪に絶対的な価値を置いてるかどうかわからない。もっと年を取ったら安定した生活を強く求めるのかもしれないし、旅欲も結局逃避願望でしかないのかもしれない。てか逃避願望であることは確かなんだけど逃避願望が欲求としてどれほどの順位にあるのかがわからない。

 

 

 

でもとにかく今は誰かに勝手に人生決められてとりあえずあの町でマグロの解体やって過ごすことになったり、その町もまた出ていくことになって行商でもやることになったりしたい。自由意志を奪われたって、逃げる自由さえ確保されていたらどうにかこうにか生きていけそうな気がする。

 

やっぱ色々考えるのってめんどくせえよ