頭の中がうるさい

散歩とか音楽とか

優しかった友達が変わってしまった

自分でそう感じるわけではない、彼女がそう言ったのだ。いろんなモノをフラットに見て、意地悪な人や理不尽な扱いにもその人なりの理由なりがあるんだろう、等と想像して決して怒らなかった友達が就職を境に怒りを怒りとして出すようになってしまった。
電車のなかで泣く赤ん坊とか道でぶつかってくる人とか明らかに悪意のない行動にも我慢ができなくなったんだと。これは悲しいことだ。

僕はすぐ舌打ちする人とか怒鳴ったりする人はもともとそういう人で、相対的にモノをみたり相手の気持ちを考えることが元々できない人だと思っている節があった。でも違ったのだ、彼女が持っているようなささやかな美徳も余裕のあるなしで平気で存在が左右されてしまうのだ。余裕と言う言葉ひとつにまとめていい話じゃないかもしれない。

彼女はこんな世の中おかしい、ともらしていた。だから世の中の人はみんな性格が悪いのだと。

ただ優しさと強さはトレードオフなのだろうか。自分の我を通したり相手の気持ちを推し量ったりしないことを強さだとするなら確かにそうかもしれない。ただそういう種類とは違う種類の強さもあるはずだ。僕はそれを探したい。

それはそうと辛そうだ彼女