頭の中がうるさい

散歩とか音楽とか

人が子ども作るのは退屈だから

一応命の保証をされた。

だいぶ心が軽くなったのだが毎日退屈である。

 

よくベーシックインカムがあったら生活コストをなるだけ下げ、極力働かず好きな分野に関する研究を進めたり、小説を読んだり、ギターを弾いたりしてつつましくも文化的な生活を送る妄想をする。子どもを育てたり結婚することを考えると無理な話だが自分一人を養うだけなら生活コストを下げるだけで働く必要性はかなり減る。オートロック付きのマンションとか外食はこの国の消費レベルに合わせた感覚のもと生きている人たち向けのものなんだから。

 

ただ実際そういう半隠居みたいな生活状況になったら多分恐ろしく退屈する。研究も小説読むのも他者の視線をどうしても意識してしまっているものだから。完全な純粋性をもった動機はおそらく僕にはない。全て他者への意識、他の行動・環境からの逃避が根っこにある。

 

ただ僕みたいに何か行動するにあたって純粋な動機を持てない人は少なくないと思う。というより殆どの人間がそうだろう。研究だけやってりゃ幸せな研究者とか音楽やってりゃ何もいらないミュージシャンなんてのは選ばれし人間である。殆どの人間は行動原理に他者の視線が染み付いてしまっている。そして他者の視線を前提としない行動にはすぐ飽きてしまう。すぐに虚無・退屈が襲ってくるはずだ。

人が結婚するのも子どもを作るのも会社組織に属して何十年も過ごすのも全部この退屈・虚無から目を背けたいがために選んだ行動と捉えることができる。そして多分この虚無感は年を取れば取るほど大きくなっていく。人との関わりを欲さず、自分自身で完結した喜びを日々の中に見つけられる個人主義者であってもだ。人生は自分のためだけに生きるには長すぎるんだ結局。