頭の中がうるさい

散歩とか音楽とか

オタクになれない

ここでの「オタク」はいわゆる萌えだとかアニメを好む人達って意味じゃなく何かにはまれる人、それだけやってりゃ幸せになれちゃう人。

自分はオタクじゃない、何にもはまれない、専門家になれない。

はてなブログの記事に外向的/内向的と現実主義/理想主義の2つの軸から人間を「ヤンキー」「体育会系」「オタク」「サブカル」に分けてるものがあった。この分け方だと自分は完全にサブカルだ。

全く理解できないわけではないしもっと気に入っても良さそうなコンテンツがなぜ自分に刺さらないかがこの2つの軸からも説明できる。
新海誠にイマイチ嵌まれずなんかきもちわりーな、今はもう観れないなって思うのは彼の作品が理想主義、空想主義的だから。童貞性と理想・空想主義はまた少し違うと思う。もちろん重なる部分も大きいだろうけど。

オタクとサブカルの違いは現実主義か理想主義かってことに起因するわけだけど何かに没入できるかどうかも効いてると思った。
もちろん没入出きる方がオタクでできない方がサブカル

ただサブカルの人として有名なみうらじゅんとかタモリとかはかなりオタク的な部分つまり没入できる性質を持ち合わせている。だからサブカルのなかにも没入できるできないで大きな溝があるんだと思う。↑の記事だと社会にも馴染めず空想に逃げることもできないサブカルが一番悲惨だと言われていたけど、サブカルのなかでも没入できないサブカルが悲惨度が高いのかもしれない。常に何かに正面から向き合うことができない、ものの価値を相対的な位置付けからしか感じることができない。何者にもなれない人。自分の居場所はここじゃないと感じはするけど逃避対象にどっぷり浸かることもできないあわれな人間。