よる日記

散歩とか音楽とか

生活は人を癒す

きちんとした生活には人を癒す力がある。

きちんとだしをとって味噌汁を作ること。キッチンを清潔にすること。シャツにアイロンをかけること。コートをちゃんとハンガーにかけること。このような日常の所作をひとつひとつ大事にすることが大切だ。


元気だからきちんとした生活を送れるのではない。きちんとした生活を送るから人は元気になるのだ。



本当にベッドから一歩も動けないようなうつではない、いわゆるうつ状態は生活を整えることで十分改善できる。


と分かっておきながらいつも脱ぎ散らかした服が視界に入る部屋でべつに見たいわけでもないYouTubeを死んだ目で眺めるのだが。

uqバイルの無制限プランの通信速度は決して早くないのだが動画なりページなりの読み込み時のみブースト機能を使ってストレスなくネットを使えるようにしているらしい。

俺にもそんなブースト機能があればいいのに、一度軌道に乗ってしまえば後は楽だから、なんて思う寒波襲来の日。

失敗した

失敗したけど気分は無理やり成功した時よりはるかに良い

少しさわやかな気分で駅からの道を帰った

バーにいこうとしたけど休みだったからやめた

 

あのいつものなんとも言えないあと引く感じがなくて頭に居座るはずの対象の席がなくて良い感じ

SWEET MEMORIESを聴いたせいだろうか

夕方に起きた。今日も授業へは行けなかった。起きてすぐちょっとだけバイトをして家に戻ってキャベツと卵をいれたインスタントの味噌ラーメンを食べた。それから皿を洗ったり部屋を片付けたりして、あいつに目を向けないようにしていたけどやっぱり逃げ切れなかった。退屈と無力感。何をしてもしっくりこない。体が冷えてるのがよくないのかと風呂に入ったりしたけど体の、心の、奥底にある地に足がついてない感、何かしなきゃ行けないのに結局また何もできてない感は出て行ってくれない。最近はこれに加えてどうしようもない懐かしさも心ににじむことが増えた。



自分のこれまでの年月が重みを持って降りかかってくるようになった。いつでもそうだ。その最中にいる時には自分の中で人生が食いつぶされて行くことにはあまり気づかない。終わりを意識してこそそれまでの時間が取り返せないことに気づく。まだまだ途上で何も決まってない、何も決めなくていいんだと思っていた。でも着実に終わりは僕を捉え始めた。


入学当初の自分はなんだかんだ言って希望に満ちていたような気がする。周りの学生を見て明るいなあエネルギッシュだなあなんてちょっと斜に構えていたけど今の自分からすれば昔の自分は今の自分より彼等に近いところにいるように思える。自分だけじゃない。周りの友達も、あの子も、今より自分の未来に、周りの世界に期待をしているような目をしていた。大学で楽しむべきことはもう経験したよたあの子は言う。あの子はもう現在をなんの もなく過ごしているなんてことはない。視点は過去もしくは未来にのみあるようだ。


あの頃は若かったなあ、って気持ちは幾つになっても感じるんだろうか。40の自分が30の自分を、60の自分が40の自分をみたらどう感じるんだろうか。


僕は、少なくとも今の僕は、自分の人生が進んでしまうこと、歳をとることがなんともどうしても受け入れられない。時間が進んでしまうのなら今この瞬間に永遠に止まってしまってもいいとまで思えるのだ。


未来はいつになっても味気ないもので過去は年々美しさを増す。そうであるならこれからの未来が美しくなるのを見たくないか?そう言われても頷けないような、色々な人生を生きられないことの苦しさがリアリテイを増してしまうような、そんな日々なんである。

味のないコーラ

大して食べたくもないものを食べ

大して興味もない話に相槌を打ち

大して見たくもないテレビを垂れ流し

大して生きたくもない一日を生きる

 

そんな日だった

 

 

ガストで話したこと

八郎潟の話
ポストカードの話
夢と現の話
泉鏡花の龍譚たんと千と千尋が似てる話
死刑反対の話
人間を信用してない 絶対的でない話
両親の間の愛なき故のエディプスなりオイディプスの云々がなかった話
話す言語によって人格が変わる話
理系出身の小説家視点が違ってておもろい話
レオナルドダヴィンチ感のある人かっこいい話



他にもあった希ガス


ポストカードとかりんとうをもらった

いじめ加害者をバッシングする世間の気持ち悪さ

 

TBS「好きか嫌いかいう時間」のいじめ加害者実名報道の討論を見て考えた。

番組ではいじめ加害者は実名報道をすべきという意見が多かった。賛成派の意見としては

・抑止力になる

・加害者は守られるべきでない

・目には目を

 

など抑止力を抜きにすれば感情論が多く、抑止力を理由にあげている人も実際は感情が先行していて一応の理由として抑止力を挙げているように見えた。賛成派の人たちには何か抜き差しならぬ雰囲気があって普段は優しいブラマヨ吉田も加害者に対する怒りを隠しきれていないようだった。難しいところだが吉田みたいな優しい人はその優しさの裏返しとして異質な存在や不道徳に対して大きな攻撃性を発揮する場合がある。

 

反対派の意見は

・マスコミを中心としたリンチになってしまう(尾木ママ

・更生を阻害する

・自分の子供が加害者だったらやりきれない

SNSでどうせ裁かれる

などであった。りゅうちぇるが反対派として奮闘していたが賛成派の皆さんには刺さってないようだった。りゅうちぇるは加害書の更生の阻害を理由にあげていたが何となくそれだけが理由ではない気がした。何度かこの番組を見ていて感じたことだがこの人は物事をフラットに見るきらいがある。公平な人なのだ。加害者には何をしてもいいと顔を真赤にして怒る人たちとは脳みその作りがおそらく違う。実際りゅうちぇるに突っかかっていく賛成派の人たちはりゅうちぇる自身が加害者であるかのように怒りを露わにしており、昔見た1頭のキリンに集団で襲い掛かって最終的に殺してしまうサバンナのライオンを思い出した。尾木ママの意見こそ反対派の意見の中核となるものでもっと取り上げるべきだという気がしたがそれでもやはり賛成派にはなかなか刺さらなかっただろう。脳みその作りが賛成派と反対派とでは違うから。

さっき吉田を優しい人として称したが尾木ママは吉田とタイプを異にする優しい人である。それも特殊な。尾木ママタイプの優しい人は物事をフラットに見られる代わりに吉田みたいな熱い優しさを欠いた人が多い。パット見優しい人の多くはは他人に興味が無いだけである。尾木ママは熱い優しさとフラットさを両方もった稀有な人だ。

 

 

 

 

 

人を自殺に追い込むまで寄ってたかって虐め抜く奴など畜生に違いなく自分の関わる人たちがその被害にあったら殺してやりたいくらいはらわたが煮えくりかえる。それはわかるめちゃめちゃわかる

 

ただ加害者の実名報道をやってしまうと今度は加害者が社会からいじめられることになる。その程度は恐らく場合によってはとんでもなく酷いレベルで今度は加害者が自殺してしまうかもしれない。そんなの加害者がやったことを考えれば当然の報いであり足りないくらいだ、という意見が多い。加害者が何らかの報いを受けるべきという考えは分かる。ただその報いを執行する人間はお前らなのか?

 

加害者は死ぬ程苦しみを味わうべき。そのようなことを言う人は自分にもいじめの加害者としての素質があることを自覚しているのだろうか。程度の大小や、正義の有る無しを脇におけばお前らがやっていることは虐めとなんの変わりもない。

 

加害者が罰せられるべきかどうかはいじめの程度によるものなのだろうか。いじめの程度がそれほどでもなかったり被害者が大きなアクションを起こさなかったいじめは起こってしょうがないものなのだろうか。いじめに近いイジリなんかそれこそ学校のクラスの数、職場の数だけある。今日もあらゆるところで人は小さないじめによって傷つき同調圧力によって何も抵抗できないでいる。イジリを受けている人間が傷ついているかどうかは周りには分からない。もしかしたら全然傷ついていないかもしれないし毎日死にたくなるほど傷ついているかもしれない。重松清の小説に出てくるサービス精神旺盛な野口くんが自殺したことを考えると人の心が傷つくかもしれないっていうハードルは低くして低くして低くしまくってやっとちょうどいい、くらいのものかもしれない。

 

正義を振りかざす人間、道徳的正しさをバックにつけた人間は罪を犯したものを叩き叩き叩きまくる。その構造や集団ヒステリーそのものでヒステリーがヒステリーを呼び状況はどんどん酷くなる。

こういうことをする人間は自分になんの影響も及ばさない物事に対して大いに怒り、自分の正義を語り、罪を罰したがる。そこにある自分の虐めっ子性には気づいてないようだ。芸能人の不倫報道を批判する流れに乗っかり何の恨みもない人をここぞとばかりに叩くのである。スマイリーキクチ中傷事件などはまさしくこのようなゴミクズ人間により起こったのである。朴槿恵を自分の親を殺されたかのように憎み騒ぎ立てる人たちも同様である。こういうゴミクズは自分がなぜ全くの遠い他人を叩くのかを道徳心、正義感からくるものだと勘違いしている。鬱屈や不満、野次馬根性など自分自身の中にある問題には目がいかないのであろう。

 

こういう人間は本当に気持ち悪い。いじめは程度の大小に限らず気持ち悪く、正義の有無によらず気持ち悪いのである。3億円事件の犯人が気持ち悪くなくて女子高生コンクリート事件の犯人たちが反吐が出るほど気持ち悪いのにはここに理由がある。

 

加害者の実名報道をすることでいじめは減るという意見がある。確かにそういう影響は期待できる。ただ本質的な原因はあくまで寄ってたかって人を叩くような精神構造を持った人間が世間に多いことである。罪を犯したものに対する厳罰化は表面的な対策に過ぎず本当にいじめをなくしたいなら集団の同調圧力や過度な正当化一般化をするような精神構造を何とかすべきだ。

 

 

虐めっ子の実名報道をすべきという連中は、そう言うのは勝手だが自分の中にある気持ち悪さ、攻撃性にも目を向けたほうがいい。平気で人をイジる人はいじめがイジりの延長線上にあることに気づいたほうがいい。人を叩くときの自分は叩いている人間と同じくらい気持ち悪いのだと自覚した方がいい。

 

 

それにしても文章が下手くそだな俺

恥ずかしい

銀杏ボーイズを聞く

たまに聞くことで自分の心がまだ死んでいないことを確認する。


でも基本的にはもう俺には銀杏を聞く資格がない。