頭の中がうるさい

散歩とか音楽とか

暇なときに何をするか

俺は暇になると飯を食う。食いたくなくても食う。自炊することも外に行くこともあるけど、自然に出てきた食欲がそうさせるのではない。食べたいから行動するのではなく行動したいから何か食べたいものを見つける、といった感じ。生活に目的が欲しいだけでおそらく内容はどうでもいいのだ。


退屈を直視するのはつらい。

バイトの休憩中である

定食屋でニラレバ定食食べたあと喫茶店に来た。

休憩の前一緒に入っていた女の人とちょいちょい話した。最後の方でマンションの明かりや人の家から漂う風呂の匂いがたまらなく胸に来る話をした。人の生活が胸に染み入る季節になったのだ。
ちゃんと話したことなかったけどやっぱりそういう繊細な感性を持っている人だった。他のおばさんたちと違って噂話もしないし。

バイトをやめるまえに話ができて嬉しく思った。

不安定で怠惰な心におさらばする

なんていうかまあ俺カスなんですよね、が最近の脳内の口癖。院試まで三週間を切った。そろそろ心を殺さないとやばい。でも今日の夜には素敵な女の子と大学で会う予定だしその前にはカウンセラーの先生にも会う。なんだか求める流れに逆行している。

 

目的本位に、雑念に縛られず死んだ心で生きなくては。それとちょっとのやる気と。まあそれは自ずとついてくるだろうから。

優しかった友達が変わってしまった

自分でそう感じるわけではない、彼女がそう言ったのだ。いろんなモノをフラットに見て、意地悪な人や理不尽な扱いにもその人なりの理由なりがあるんだろう、等と想像して決して怒らなかった友達が就職を境に怒りを怒りとして出すようになってしまった。
電車のなかで泣く赤ん坊とか道でぶつかってくる人とか明らかに悪意のない行動にも我慢ができなくなったんだと。これは悲しいことだ。

僕はすぐ舌打ちする人とか怒鳴ったりする人はもともとそういう人で、相対的にモノをみたり相手の気持ちを考えることが元々できない人だと思っている節があった。でも違ったのだ、彼女が持っているようなささやかな美徳も余裕のあるなしで平気で存在が左右されてしまうのだ。余裕と言う言葉ひとつにまとめていい話じゃないかもしれない。

彼女はこんな世の中おかしい、ともらしていた。だから世の中の人はみんな性格が悪いのだと。

ただ優しさと強さはトレードオフなのだろうか。自分の我を通したり相手の気持ちを推し量ったりしないことを強さだとするなら確かにそうかもしれない。ただそういう種類とは違う種類の強さもあるはずだ。僕はそれを探したい。

それはそうと辛そうだ彼女

免許とらんと

コンビニで牛乳とアイスを買った帰り、横に延びた道のちょっと先に白っぽい猫がいた。ちょっと身屈めてなんとなく下半身阿波おどりっぽいスタイルでこっそり近づいたけどビニール袋だった。コンタクトが片方落ちてしまっていたから分からなかった。一応振り返って一部始終を他人に見られてないか確認したけど誰もいなかった。

昼夜逆転もいよいよ安定してきて夜の非日常感とかも大分薄れてきた。まあ普通に好きなんだけど、っていうか昼よりはるかにマシ。


最近はやるべきことを紙に書き出してとりあえず一日のノルマはなんとかこなそうとしている。完遂したらダラダラする。免許とる場所も早く決めないと、と思う。どういうところがいいんだろう。
なるべく文明化されてないようなところがいい。地方は地方でも県下二位とかの中途半端な日常性にまみれた都市は最悪だ。山奥の温泉街とかにあったらいい。どうせないだろうけど、近しい要素をもったとこを探してみよう。

そんなもん

今日は大学昼からいって授業でて新宿郵便局で書類だした。大事な書類だったけど自分のこれから考えるに出していいのかどうなのかよくわからずでもとにかく橋は越えてしまった。次のはしまで歩くしかない。

その後ふらついてると薬局の前で日焼け止めかがんでみてる女の子が居て角度と服の開き具合と貧乳度合いからして乳首が見えそうだった。丁度いい位置まで移動したらばっちしみえた。
ほう、と思ってバイトに向かった。電車のなかで顔思い出そうとしたけどそもそも顔見てなかった。そんな日。

女のひとがよく否定的な意味で男なんてそんなもんよって言うけど俺なんてほんとそんなもんだと思う。

やるべきことがたくさんあるのに

やめときゃいいのにあの子との思い出をたどった。LINEのトークは消えてしまったから前もって保存していたトーク履歴のデータを開いたのだ。LINEのトーク履歴はすごい。日記をつけていないことを危惧していたけど日記の代わりになってくれるのだ。LINEは。

もちろんLINEに思い出がすべて詰まっているわけではない。歩きながら話したこと、じゃれながら言ったしょうもない冗談の数々は言ったそばから消えてしまうだろう大抵は。それでもやはりなんにも記録を残していないのとは全く違う。その節々から枝分かれしていくつもの思い出に触れることができる。

出会った頃のあの子の尻尾フリフリを隠そうともしない純粋な無邪気な好意は今考えても甘く、あの頃の日々は幸せに満ちていた。もちろんあの頃はあの頃でいろいろ嫌なこととかあったんだろうし幸せ一色なんてことはないけど、それでもどう考えても幸せだったのだ本当に。今考えれば。


僕はいつもその最中にあるときにそのものの価値に気づけない。
これからもいろんなモノを人を失うんだろう。そして失ってから自分の中の空洞に気づいて味のしない飯を食う。色味のない景色をみる。