なにかに夢中になるのは良い。一つ一つの自分の挙動を丁寧に意識を集中してやるのもいい。矢印を自分に向けないこと。なるべく外の世界に浸ること。
旅に興味がなくなったわけじゃない
ここしばらく、どこか遠くにふらっと何日か出かけることがなくなっていた。
自分が大人になったのか、とか内面に変化が起きたのかとか思っていたけどなんのことはない。ただストレスを感じていなかっただけだ。
今日、ほんの些細な嫌なことがあった。ほんとに大したことない、普通ならすぐ忘れてしまうようなことなのかもしれない。でもそのせいで何だかずっと嫌な気分になっていろんなものと距離を置きたくなった。その中で久々に旅に出たいと感じた。行き先はどこでもいい。今いるここじゃなくて、あんまり人がいなければどこでも。笑っちゃうくらい当たり前の話だけど俺は一ミリも成長なんかしていなかった。
くましのさんに会った
駅前で偶然
話しかけてしまったけど何を話していいかわからなかった。
隣にいたハスキーな声の人はあの人だったりして
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何人かの知り合いからちょっと突っ込んだ話を聞いた。
なんか色々感じたことはあったけどとにかく疲れてしまった。あまりなにも考えたくない。意味のないものに浸りたくなった。
大盛り聖子がヨギーに怒ってた件とかも何個か記事見たけどすごく疲れる。人の内面、それも特に怒りとか嫌悪とか嫉妬とかにまみれたものを見るのは疲れる。仮に共感できたとしても。
やっぱり俺は器が小さい。愛が先か受け入れが先か。とにかくなにもモノを言える立場にない。資格がない。
昔の自分のブログを読んだ
マックの帰り、購入したてのナイトライダーを聴いてたらsちゃんを中心に昔のガールフレンドのことが思い出されて、その流れでライブドアでやってたブログのことも思い出した。
なんとかパスワード思い出して一年以上ぶりに読んでみた。
だいたい去年幸せになってきた頃までのことが、完全に日記調に書いてあった。昔の俺は今よりちょっと良い奴っぽかった。少し素直で。就職とかそういう現実の大きな問題からまだ目を背けてられる時期だったからだろうか。そこにある不幸にも逼迫感そして当たり前だけど現実のにおいがなくて40とか過ぎたおじさんが昔を思い出して俺達が学生の頃はなーなんていうときのいわゆる学生、なんの重荷も背負わされてない人間の軽さが文体に現れていてすでに懐かしかった。
今日ちょうど平野啓一郎の分人についての文章を読んだけど一年前の俺も今の俺からするとすでに別の分人だった。ただただ日々生きているだけで俺は分人を失くしていく。分人を失くす悲しみはや切なさはいつまでも続くのに、これから獲得する分人になんの期待も楽しみも感じられないのはどうしてだろう。
僕らはといえば遠くを眺めていた
日だまりに座り若さをもてあそび
ずっと泣いていた
ずっと泣いていた
気持ち悪い
自分は他人からエネルギーを奪って生きる妖怪のようなやつだ。
今日も人を傷つけた。その子は別れ際笑ってくれてたけど内心は不安と悲しみに満ちてたかもしれない。
そうすることがどうしていけないのか、考えてもはっきりとした答えはでない。ただ、この問いが出る時点で自分が人を傷つけていると無意識に気づいているわけで何よりこの胸から溢れる後ろめたさ、罪悪感がすべてを語っている。
自分は明らかにこれまでの人間関係においてギブすることが少なかった。自分の方がシーソーゲームの下にくることはない人間関係ばかりを築いていた。
今は悪いことをしたてだからかひどく心が弱っていて罪滅ぼしを御祓をしたくてしょうがない。そうすることで気が楽になるかはわからないがとにかくやってみようと思う。謝ったりするだけではなく何かしら善意を与えることがこういう時意味をもつのかもしれない。ただ、悲しい哉、今まで人に与えてきたことがないだけにどうすれば良いか分からない。
混乱した頭を抱えて住宅街を通ったとき、ふと目にした普通の家族の普通のやりとりがどうしようもなく胸に来て今はなんだかひどく感傷的な気分だ。
外は2℃ 白い冬
とん水が閉店してしまった
久々に下北に行った。一番街を歩いていると見慣れた看板が何故か反対側の店の前にあった。訳がわからず本来あるべき方向を見ると暗い。今日は定休日でもないはずなのに。
入り口の前には10月の末で店を閉めることになったことが達筆で記されていた。45年のご愛顧ありがとうございました。みたいなことが書かれていた。
特に常連だった訳ではないし食べたことあるメニューも本の一握りだった。だけど、あの空気感、温度には特別なものだった。女の子と行ったこともあったけど、基本的には一人でどうしようもなく家へ帰りたくない夜に行くことが多かった。他のお客さんも大抵若い男で勝手に境遇を重ね合わせたものだ。
寂しさは大抵夜に来る。季節でいったら冬だ。冬の夜に行くことの多かった僕は