頭の中がうるさい

散歩とか音楽とか

最近

結局何も変わってない
些細な態度の変化に一喜一憂し感情のハンドル完全に奪われたまんま

違う部分にシフトしていかなきゃまずい
でも俺にはやっぱり何の価値もない

飯食ってクソして寝るだけの、非生産的動物


でも思ったのが一つ前の投稿から一ヶ月半くらい経っているということ。こういう不安定な気分の時、時間の流れは速く感じられるのだろうかそれとも遅く。

二月なにしてたかとかほとんど覚えてない

メンタルクソ雑魚問題

普通に死にそう。ただ退屈なだけだったら毎日寝る前のあれを楽しみにできるけど、起きてもこの虚しさは消えてくれないんだと思うと寝ることも俺を救ってくれない。最後の砦だったのに。そのうち夢にまで侵食されるんだろう。

 

試しにやったネット診断では余裕でアウト

 

 

こんなことで(ホントはこんな言い方したくない)いちいちうつ状態になるのなら、これからの日々をどうやって過ごせばよいのか。これどころじゃない苦しみなんて、それこそ針のように降ってくるんだろう。いちいち死んでたらどうしようもない。小さな段差に躓いて顔面血だらけである。つくづく現世に向いてない。

 

 

とりあえずさっき作ったカレーのアッパー効果に期待して日光浴びながら口角上げて食べようと思う。昼夜逆転してるけど。食いにくいけど。

今日

今日はバイトのあと久々に会う友達と三人で飲んだ。うまいと評判のこないだ行きかけた店。刺身盛りと肉じゃがをつまみに酒を二杯のんだ。胃の調子は一昨日の飲み過ぎのせいで良くなかった。友達が昔からデートを重ねていた女の子と付き合い始めたことを知った。これからの彼の毎日は穏やかではない、不安に満ちた日々になりそうだった。僻みとかそんなのなしにそう思った。

 

俺が合流したのが遅かったし、その彼がこれから夜行で京都に行くというので二軒目(二人にとっては三軒目)には行かなかった。ほっぽり出された気分で下北沢の街をしばらく歩いた。今日も今日とて寂しさは募るので人が居て、暖かいけどうるさくない店を探した。

見つからず結局家まで帰ってメゾン・ド・ヒミコをみた。気になっていた作り方でカレーを作った。君と暮らせばを聞いた。チャンドラーを読んだ。ビル・エヴァンスを聞いた。

 

苦しい苦しい苦しい。何をしても胸苦しさは消えてくれない。誰かと会ってもその間だけ意識が他の対象に寄せられるだけだ。あの子本人に会ったとて多分満たされない。あの頃のあの子でなくては。

何食っても味がしない

し食欲自体あんまりない。またただでさえ軽い体重が減るのだ。

 

食欲も性欲も奪われた人間の人生は生きるに値しない。生きる燃料がない。

 

 

心が沈んでいる時、周りがうるさいのは辛い。

天気が悪いと安心する。ああ、こういうテンションで過ごしていてもいいんだって、明るく生きなくてもいいんだって。

 

今日は雪がちらついてる。ベストは厚い雲から降る冷たい雨だ。冷たい雨に打たれると心まで冷たくなるなんてことはない。冬に晒されて冷えた手に、水道の水がしばしばあったかく感じられるように。

東京の冬は寒い

毎年この季節になるといつもそうだ。いろんなことがうまくいかない、出口の見えない日々。何も自分の心を暖めてくれない。


最近はあの子との関係もうまくいかない、というか衝突はないけど終わりの予感は無視できないくらい毎日大きくリアルになっていく。そんなこともあって毎日がひどく寒い。本当は悪いことばかりじゃないはずなのに何故だか寒さは消えてくれない。誰といても、何をしていても。敵は見えない。



最初から最後まで結局1人なんだという思いしか湧いて来ない。もうここ何年もずっとそうだ。


これはもうこういう季節だと思ってやり過ごすしかないのだろうか。



悪いことは重なるし苦しい日々は続くのだ。

正しいことを言われると傷つく

洞察力に優れた友人がある。彼から自分の欠点を指摘されることは辛い。彼から嫌われてるということが分かってしまうのは辛い。性格には嫌われてる"部分"がある、ということなんだろうが。


思い当たる節がある、自覚症状があるだけにどうしようもない遣る瀬無さに襲われる。ほんとになんもいえねえ、価値のない人間だ俺は。好きじゃねえもんこんなやつ。周りにいたら好きになれないタイプだたしかに。

食べることよりも料理をすることが大事

料理はその過程にこそ意味がある。


野菜を洗う、皮を剥く、出汁をとる、灰汁をとる、盛り付ける


そんな1つ1つの作業を丁寧にものを作ること



思うに料理はこの消費社会の中でもっとも気軽に"生産"を行える行動の1つだ。生産には何か意味があるような気がする。よくわからないけど何か良い意味がある。普段消費ばっかしてるから余計に感じるのかもしれないけど、なんかどこかやっぱ良いはず。